からだの音

サポーター

未来の元気のために始めた、『からだの音』。多くの方に賛同、応援をいただいています。
辛いとき、苦しいとき、ふとしたときに思い出す、こども時代。

あのこども時代があったから、今がある――。
応援団のみなさんに、人生を支えてくれている、こども時代を語っていただきました。

父と見た風景、すき焼きの味が財産

私の父は童話作家でした。祖父は開業医でしたが、父がこどもの頃に亡くなり、3人の息子は誰も医師を継がず、父も好きな文学の道にすすみました。父は夜遅くに執筆活動をするので、私の登校時は寝ていますし昼は大抵家にいました。多くの家庭の親が会社に行くのに、うちの父親は家にいてどうやって食べていけるのだろう、とこどもながらにいぶかったこともあります。

私がこどもだった頃、父は私を連れてよくでかけました。自転車に私を乗せて近くの多摩川へ行ったり、奥多摩で地元の人も迷うような山に一緒に登ったりしました。家族で食事に出かけることも度々ありました。

家ではよくすき焼きを作ってくれ、私と弟が肉を頬張る姿を笑いながら見ていました。こどもの時に見た風景とおいしかった食べ物の思い出は一生忘れない、というのが父の考えでした。感受性の強いこどもの時期に得た楽しい記憶は一生の財産になるという、童話作家らしい計らいだったのでしょう。

父は私が祖父と同じ職業につき、祖父の故郷である福岡から嫁さんをもらったことを喜んでくれました。その後病に倒れ、私の長男が生まれて間もなく亡くなりました。私が父と同様、こどもたちに楽しい思い出を残せたかは明らかではありません。しかしながら、大学のため離れている長男が帰郷したとき一番食べたいものがすき焼きなのは、父の影響を少なからず受けた証なのかもしれません。

大石陽介

1959年東京都生まれ。浜脇整形外科病院・院長。脊椎の専門医。生理学が好きだったことをきっかけに、科学に基づいた医療を志す。父は童話作家の大石真。

引っ込み思案を変えた「走る喜び」

私は小学校4年生頃までは、引っ込み思案でおとなしい性格。当然、体も小さく、運動も得意ではありませんでした。5年生になった頃、何がきっかけかは記憶にありませんが、一生懸命に走るということが理解でき、人より速く走ることの喜びを知りました。また、逃げるばかりだったドッジボールも、進んでボールをとりに行くようになりました。これが、私の負けず嫌いの始まりです。ちょうどその頃、東京オリンピックがあり、バレーボールの日本女子チームが金メダルをとりました。とても感動したバレーボールとの出会いです。

中学校に入り、バレーボール部に入りましたが、入学当初142センチ、28キロという小さな私が活躍できる場面はありませんでした。

2年生になると、先生から「大きな子と同じ高さに手が届くようになったら選手として使う」と言われました。翌日から毎日ジャンプの練習を続け、高い位置に手が届くようになった頃、背も伸びていましたので、セッターとしてレギュラーになることができました。嬉しかったです。それから長いバレーボール人生がスタートしました。

バレーボールとの素晴らしい出会いがあり、今でもスポーツに携わる仕事を続けられることの幸せを感じた時、ふたたび東京オリンピック開催が決まりました。

皆さんも、いろいろな出会いを大切に、素敵な未来に向けて羽ばたいてほしいと思います。

堂本ひさ美

1953年東京都生まれ。広島県体育協会・事務局長。30年近くバレーボール選手として活躍。現在はこどもたちにスポーツの素晴らしさを伝えるためのイベントに力を注ぐ。

海、山、鬼ごっこ…の遊びが引き出しに

僕は広島で育ちました。こどもの頃は、山を駆けのぼったり、海で泳いだり、たくさんいろんな遊びをしました。本格的に陸上を始めたのは中学校からで、それまではただ走るだけの練習よりも、鬼ごっこなど、いろんな遊びをするのが好きでした。

その後まさか25年も陸上をやるとは思いませんでしたが、競技人生も終盤に差し掛かって、こどもの頃の体験の重要さをつくづく実感しました。それは例え、とてもいいイメージを描けたとしても、その通り身体が動いてくれない事があったからです。人間はある程度は大人になってからも身体の動かし方を覚える事はできますが、言葉と一緒で、こどもの時に覚えた動きが一番ナチュラルです。結局こどもの頃の体験の引き出しの中から技術を作っていっていました。

みんなたくさん外で身体を動かしてください。そうする事でみなさんの身体がたくさんの動きを覚えていきます。そしてそうやって覚えた動きが将来とても役に立ちます。皆さんが将来スポーツをやらなかったとしても、自分の身体の動かし方を知っているという事は、心をコントロールする事にもつながっていきます。たくさん動いてたくさん遊んで、自分をよく知る事が大切なんです。

為末大

1978年広島県生まれ。男子400mハードルの日本記録を保持するトップアスリート。現役引退後はイベント主宰、講演や執筆、コメンテーターなど幅広く活躍している。

母を守る心と野山が私を鍛えてくれた

母子家庭だったので、暮らしはささやかでしたが、自分のためにがんばってくれている姿を見ては、母を守るのは自分なんだとこども心に思ったものです。

いろいろ買ってもらうことはできなかったので、遊び道具は手づくりしました。竹馬、缶蹴り、竹ひご飛行機、スキー板まで。そのほかめんこやビー玉など、高価な遊び道具がなくても、こども同士知恵を持ち寄り工夫して、心ゆくまで楽しみました。

また、生まれ育った島根県出雲市は海も山もあるので、大自然のなかでいくらでも遊びを見つけることができました。砂浜で相撲をとったり、山で野うさぎを追いかけたり。夏は海や川で水遊び、冬はスキーやそりといった野山の遊びが、いつしか身体を鍛えてくれていたのだと思います。

大野豊

1955年島根県生まれ。元プロ野球選手。1977年広島東洋カープに入団し、投手として22年間活躍。その後、カープのコーチに。五輪では2度、日本代表の投手コーチを務めた。

家族を悩ませた「諦めない」こども

悪くいえば「言い出したらきかない」、よくいえば「諦めない」性格なので、それはもう家族を悩ませたエピソードがいっぱいです。

家族でトランプをしていても、負けそうになると悔しくてカードをぐちゃぐちゃにしたり、破ったり。自分が勝つまで「もう一回、もう一回」とせがんで、家族をうんざりさせていたようです。

また、背丈より高い浴槽に、自力でよじ登り、真っ逆さまに湯船に落っこちて顔にケガして血だらけになったことも。大通りを隔てた遠くの公園に母にだまって遊びに行き、もしや誘拐ではないかと警察まで出動となった騒動は今も語りぐさです。

こどもの頃から「考えるより先に即行動」。困難に遭遇しても、好奇心が旺盛なので、すぐ次の目的を見つけて夢中になれる、前向きな性格は今も健在です。

土田和歌子

1974年東京都生まれ。日本を代表する車いすアスリート。ロンドンパラリンピック日本選手団主将。2013年大分国際車いすマラソンで世界最高記録を更新。パラリンピックでは夏と冬で金メダルを獲得。

褒められるうれしさがパワーの源に

幼いころは3歳上の姉にいつもくっついてまわり、まねばかりしていました。バレーボールとの出会いも、姉がクラブ活動で始めたのがきっかけです。練習する姿がかっこよくて、毎日見学に行っていた私に、監督が「佳江ちゃんもやってみる?」と誘ってくださったのです。

クラブでは、私がいちばん年下だったので、周りの人が「小さいのに上手だね」と褒めてくれる。それがすごくうれしくて、どんどんのめり込みました。

また、毎日の練習の中で少しずつ上達していくのが楽しく、なにより、チーム全員が心をひとつにして点を取ったときの喜びは格別。

また、週末には町内の「こども会」で行われるドッジボール、ソフトボール、陸上などいろんな競技会に参加しました。多くのスポーツを経験することで、コミュニケーション力を身につけたり、規律の大切さを学べたと思います。

竹下佳江

1978年福岡県生まれ。“世界最小最強セッター”と称された、日本を代表する元バレーボール選手。 2013年に引退し、現在はバレーボールの普及や貢献活動に力を注ぐ。

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